長岡で発行している月刊フリーマガジン「マイスキップ」連載の同名コラムのブログ版です。主宰するアトリエの企画展情報をまじえながら…
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右は日曜の新潟日報の書評欄。「ネット・バカ」という本が紹介されていた。
この邦題はどうにもセンスがなく、タイトルだけだと食指はまったく動かされないのだが、レビューを読むとかなり興味深い内容である。
“インターネットがわたしたちの脳にしていること”とサブタイトルがつく。要は「ネットが思考そのものを変えるということを脳科学の知見から解き明かしている」のだそうだ。記事には、車の運転でカーナビ頼りの場合と、地図を頭にたたきこみ、2次元の情報を3次元の風景に変換(知的作業の駆使)する場合とどちらが脳を使うか?と例えがある。私自身はカーナビを一切使わず、むしろカーナビというのは記憶力など自身の脳力を退化させるのではないかと思っていたから、妙に納得である。だが、記事は続けて「つまりネット依存はすべてカーナビ頼りの生活のようなもの」とあるからドキリである。本の衝動買いというのは最近はあまりしないようにしているが、読んでみたいのでさっそくアマゾンで注文した。
ちなみに原題は「THE SHALLOWS」とのこと。内容に則したもっとよい和訳があると思う。
この邦題はどうにもセンスがなく、タイトルだけだと食指はまったく動かされないのだが、レビューを読むとかなり興味深い内容である。
“インターネットがわたしたちの脳にしていること”とサブタイトルがつく。要は「ネットが思考そのものを変えるということを脳科学の知見から解き明かしている」のだそうだ。記事には、車の運転でカーナビ頼りの場合と、地図を頭にたたきこみ、2次元の情報を3次元の風景に変換(知的作業の駆使)する場合とどちらが脳を使うか?と例えがある。私自身はカーナビを一切使わず、むしろカーナビというのは記憶力など自身の脳力を退化させるのではないかと思っていたから、妙に納得である。だが、記事は続けて「つまりネット依存はすべてカーナビ頼りの生活のようなもの」とあるからドキリである。本の衝動買いというのは最近はあまりしないようにしているが、読んでみたいのでさっそくアマゾンで注文した。
ちなみに原題は「THE SHALLOWS」とのこと。内容に則したもっとよい和訳があると思う。
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「手作り陶器店」である一黙窯には、なぜか「本」もたくさん置いてある。もちろん売っているわけではなく店主Hさんの私有物なのだが、棚一面いたるところに並べられており、昨日、一昨日と一黙窯に行っていた際に時間もあったので、しばしその本棚を物色する。
銀色夏生がけっこうある。銀色夏生については太田裕美のテクノポップ時代の作詩を担当しており、その詩がとてもよいのだと フリーペーパーの連載コラムにも書いたりしていた。そんな話をHさんに何気なくしたところ、「(銀色夏生で店内にあるのはエッセイ集がほとんどだが)、詩集ならばこれがおすすめ」と、出てきたのがこの「名もなき詩」。
刊行は10年以上も前、編集は「雑派」とだけ書かれている。
いゃあ~、これは実に面白い、というか、はまってしまう。
どこが面白いかなどとくどくど書くのも面白くないので、ここではその「まえがき」部分だけ、以下抜粋して。
『なにも教科書で習ったり、専門誌や文芸誌に掲載されたものだけが<詩>ではない。一瞬の感動を伝える競馬実況の一言にも、自らの魂を葬る寸前の遺書の一行にも、あるいは最終回を迎えた漫画の一コマの上にも<詩>のようなものは姿を現す。本書はそうした義務教育や詩壇とは無縁の、つまりは教科書や現代詩のアンソロジーにも決して載ることのない、言葉の結晶を一冊に編んだものである。
…(略)…
ラジオ放送や銀幕の上、絶版本や政府刊行物のなかにも埋もれた<名詩>は存在する。私たちはどんな言葉に心を動かされてきたのか、本書はその軌跡をふり返る一冊でもある。
銀色夏生がけっこうある。銀色夏生については太田裕美のテクノポップ時代の作詩を担当しており、その詩がとてもよいのだと フリーペーパーの連載コラムにも書いたりしていた。そんな話をHさんに何気なくしたところ、「(銀色夏生で店内にあるのはエッセイ集がほとんどだが)、詩集ならばこれがおすすめ」と、出てきたのがこの「名もなき詩」。
刊行は10年以上も前、編集は「雑派」とだけ書かれている。
いゃあ~、これは実に面白い、というか、はまってしまう。
どこが面白いかなどとくどくど書くのも面白くないので、ここではその「まえがき」部分だけ、以下抜粋して。
『なにも教科書で習ったり、専門誌や文芸誌に掲載されたものだけが<詩>ではない。一瞬の感動を伝える競馬実況の一言にも、自らの魂を葬る寸前の遺書の一行にも、あるいは最終回を迎えた漫画の一コマの上にも<詩>のようなものは姿を現す。本書はそうした義務教育や詩壇とは無縁の、つまりは教科書や現代詩のアンソロジーにも決して載ることのない、言葉の結晶を一冊に編んだものである。
…(略)…
ラジオ放送や銀幕の上、絶版本や政府刊行物のなかにも埋もれた<名詩>は存在する。私たちはどんな言葉に心を動かされてきたのか、本書はその軌跡をふり返る一冊でもある。
末次安里(雑派)』
wrighter profile
長岡市在住,アトリエZen主宰。
アート作家。同アトリエをベースにアートイベントの企画・コーディネートにたずさわっているほか、長岡で発行している地域情報誌「マイスキップ」の編集にも関わっています。
■連絡はこちら↓
mail:
correspon☆hotmail.co.jp
(☆を@に)
アート作家。同アトリエをベースにアートイベントの企画・コーディネートにたずさわっているほか、長岡で発行している地域情報誌「マイスキップ」の編集にも関わっています。
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